日本語と脳と芸術について
- 浩 皆川
- 2021年5月31日
- 読了時間: 2分
日本語と脳と芸術について 人が話す時には言語脳とされている左脳でその音を聞き 楽器の音は音楽脳と呼ばれる右脳で聞いているといいます。 ○虫や小鳥の声のような自然の音の場合においては 西洋人はノイズとして右脳で処理し 日本人は左脳で人の会話のような声として聞き処理していると言います。 小鳥のさえずり動物たちの鳴き声 風が木の枝を揺らす音 小川のせせらぎ、滝の音、雨や濁流の音、山鳴り、地震、海の潮の波音 に対して 日本語を話す私たち日本人は 自然が今まさに自分に声をかけてくれているという心情になる。 和ませてくれたり 励まされたり センチメンタルになったり 山の神海の神の怒りに 触れたように思ったり 和歌や俳句の記述でも 多く見られるところである。 私はここのところが 日本人の感性であり気づきであり自然という森羅万象に対する共生の思想の表れであると思っています。 少ない言葉の中で以心伝心で 通じ合ったり 遠方の縁者や親しい友人の消息に虫の知らせを感じたりする。 今この瞬間に感じていることが 学生時代に習った和歌や俳句や川柳の世界にタイムスリップしたり 過去の出来事の記憶が直感映像として走馬灯のように脳裏に蘇ったりする。 特に春夏秋冬という自然の豊かさに触れた時の叙事叙情の多様性は 世界でも群を抜いていると思っています。 一方で 西洋音楽は崇高な感じがあります。知性的な感じがあります。 以前は日本の伝統的音楽の場合は情緒的で少し崇高さに欠けていると思ってました。 最近は特に雅楽などは神々が降りて来る感じが分かるようになってきました。 日本人ではあまり使うことのない 右脳の働きを西洋音楽で刺激させて 次に反対の言語の方の左脳を働かせる。 左脳と右脳の極限まで振幅を大きく使うことが日本人にとってよいことだと思います。
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